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知覧特攻平和会館

 知覧基地は,太平洋戦争の開戦直後に開設された。飛行場の広さは約200ヘクタール。2000メートルの主滑走路と,500メートルの副滑走路の2本を備えていた。

 開設当初は,操縦技術を身につける訓練用の飛行場として使われていた。戦況が悪化して沖縄戦が始まると,特攻基地となった。沖縄戦で戦死した陸軍特攻隊員の4割強に当たる439人が,この飛行場から飛び立った。


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 特攻基地跡に設立された知覧特攻平和会館(南九州市知覧町)は,太平洋戦争末期の陸軍特攻作戦で犠牲となった特攻隊員1036人の遺影や遺品、遺書などを展示している。





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>>> 知覧特攻平和会館とは

知覧特攻平和会館は,第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で,爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。

 私たちは,特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら,再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない,また,このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で,貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と,関係者の方々のご尽力によって展示しています。

 特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは,再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。

 この地が出撃基地であったことから,特攻戦死された隊員の当時の真の姿,遺品,記録を後世に残し,恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ,ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。

  出所:南九州市ウエブサイト http://www.chiran-tokkou.jp/about/heiwakaikan/index.html

 



 知覧から20キロ程先にあるの開聞(かいもん)岳は,900メートル余りと決して高い山ではない。だが東シナ海に突き出すようにそびえる「薩摩富士」の存在感は格別である。昔から鹿児島湾に入る船が目印にしていたという。


 大戦末期の1945年3~6月,20キロほど北北西にある知覧の基地を飛び立った特攻隊の戦闘機は、開聞岳を目指した。そこからまっすぐ南下すれば標的の米軍艦隊がいる沖縄の海である。山に別れを告げ攻撃に向かったという

 

 

 



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